少し前の話になるがTwitterのフォロワーさんの企画で、こんな書を書いてもらった。

【沈思黙考(ちんしもっこう)】。
意味は、沈黙し深く考える様。
私はこの熟語に思い入れがある。
語感だけだと、「ちん…」だの「もっこ…」だのちょっと破廉恥な響きに聞こえる。
それはおそらく私が、中学2年生という人生で一番エロい言葉を脳内にインプットするであろう多感な時期にこの言葉と出会ってしまったからかもしれない。
私にこの言葉を教えてくれたのは、中学2年の担任の先生だった。
国語の教師で女性だったが、顔がケーシー高峰に似ていたので陰で【タカミネ】というあだ名がついていた。

(本人は女優の【高峰秀子】に似てるからだと思っていたらしいが)
タカミネは口うるさかった。
スカートの丈、髪型、化粧、言動…
カトリック系の女子校だったのもあってか、生徒の一挙手一投足に【学生らしさ】と【女性(少女)らしさ】を求めた。
そのくせ自分は青や紫のアイシャドウを入れて真っ赤やブルーピンクの派手なルージュを引き、グリングリンに巻いた髪に花柄のフレアスカートで、香水の香りをプンプンさせながら構内を闊歩していたもんだから生徒からの反感はすごかった。
見た目を指摘された生徒のほぼ100%が「おまえが言うな」と内心思っていたはず。
今思えば、【先生と生徒】【大人と子ども】【支配する側とされる側】なのだから(身だしなみや取るべき態度に)差があって当然なのだが、生徒は何かと彼女には反抗的だった。
しかし、反抗的だった生徒達が彼女を嫌いだったかというとそうでもなかった。
タカミネはチャーミングな人だった。
口調が独特で、生徒の名前を
「○○サン○○サン○○サァン!」
となぜか3回連続で口早にさけび、語尾が
「(スカートの丈がちょっと短い)わよ~ン♡」
と変に伸びるせいで、叱られていても時々吹いてしまう生徒が続出していた。
ギャルや態度の悪い生徒にはしつこく注意を繰り返していたが、その分コミュニケーションを取るし、良く彼女らのことを見ていた。
私は学生当時おしゃべりで賑やかな生徒ではあったが、決して素行や服装が乱れている系ではなかった。
それ故すれ違いざまに注意を受けるようなことはなく、反対に授業中に良くやり玉にあがった。
今でも直っていない悪い癖なのだが、私は疑問に思うようなことがあるとすぐその場で質問したり反応してしまう。
授業中に良く手を上げ、
「ここはこうですか?」
「私はこう思うんですが違いますか?」
という質問をして、授業を止めていた。
勉強が嫌いな友人達は私が良く授業を止めたり話を脱線させたりするのを面白がってくれていたが、マジメに授業を受けたい子からすれば私はきっと疎ましい存在だったと思う。
また、私は国語の成績だけが異常に良かった。
他はからっきしだったが、国語だけはいつも学年1位を争っていた。
だから特に国語の授業中、私はよくタカミネに絡んだ。
得意教科で持論を展開させる自分に酔っていたのかも知れない。
「ノリこは、ユミさんを見倣った方が良いわよ~ン!」
と、私はタカミネにことあるごとに言われた。
(そしてなぜか私だけいつもフルネームで呼び捨て)
学年1位をいつも分け合っていた同じクラスの【ユミちゃん】。
私とは正反対のおとなしい子で、唯一私と同じ小学校から来た子だった。
「貴女には【チンシモッコウ】が足りないのッ!」
「ユミさんは【チンシモッコウ】型だから、成績もスバラシイっ!ノリこはおしゃべりから思考がこぼれているから、ケアレスミスが多いのよォッ!」
私が注意をされているはずなのに、勝手にライバル認定されて話題にあげられるユミちゃんには申し訳なかった。
しかもあまり中2女子には耳なじみのない【チンシモッコウ】という、若干破廉恥な響きの熟語を押しつけられてしまったユミちゃん。
それでも彼女は【チンシモッコウ】タイプだったから何も言わなかった。
タカミネが言ったとおり本当に沈思黙考タイプだったユミちゃんは、高校で静かぁ~に特進クラスに入って、そのまま国立大学へ進学した。
一方私は、中2くらいから人間関係に悩みはじめた。
先述したが、思ったことをすぐに口に出してしまう癖がアダとなり、私は人から嫌われることが増えた。
孤立するまではいかなかったが、目立つグループの子から目をつけられたり、あからさまに嫌みを言われたり聞くつもりのなかった陰口が耳に入って来ることも増えた。
誰かに相談するでもなく私は、本や趣味の世界に逃げた。
個人面談でタカミネから悩みの有無を聞かれたときにも
「特にないです」とだけ答えた。
「アラそ~お?それなら良いのよ。でもノリこは、アレッだけしゃべるのにまだ内に秘めているときがあるでしょう~?吐いちゃう前にちゃんと出しなさいヨぉ~♡」
そう言ってタカミネは、両手をお椀のようにして私の前に差し出す。
(いやなヤツ…)
私は思い出す。
まだ入学して間もない中学1年の5月。
合唱コンクールで私は指揮者に立候補した。
小学生の頃は、クラスのリーダー的なことをすすんでやりたがる目立ちたがり。
6年生の時には最高峰の【児童会長】にまで成り上がった。
女子校の中学に入っても同じような感覚で、誰もやりたがらなかった役割に進んで手を上げた。
思い通りに練習は進み、コンクール当日。
私は今まで感じたことのない緊張感に襲われた。
初めて学年外の生徒と交わる行事で上級生の熱気や会場の大きさに完全に気圧されてしまった私は、練習中に倒れた。
私はロビーのソファに寝かされ、会場入りする他の生徒の足をぼんやりと眺めていた。
ダサい。
本当にダサい。
手を上げて率先してやっていたのに、いざ本番を目の前にしてビビってしまっている自分がダサくて恥ずかしい。
1年生の合唱は、コンクールの序盤に出番が来る。
なんとか会場入りしないと…そう思って身体を起こす。
会場の客席に続く重い扉を開けようとした瞬間、私は盛大に吐いた。
その吐瀉物を、とっさに受け止めたのが通りすがりのタカミネだった。
「どなたかぁ~!ビニール袋と拭くモノもってきてくださるぅ~?!」
タカミネの甲高いSOSによって、ロビーにいた他の先生や警備員さんに袋やぞうきんを持ってきてもらい、吐瀉物は片付けられた。
すでに生徒は会場入りを済ませていて、ほぼ誰にも見られていなかった。
タカミネがしっかり受け止めてくれたおかげで、奇跡的に私の制服もタカミネのドレスも、会場の絨毯も汚れなかった。
私の緊張感も羞恥心も吐瀉物と一緒に放出されたのか、その後は落ち着き無事に大役を果たすことができた。
当時、タカミネは違う学年の担任で受け持ちの教科の先生でもなかったので、私とは全く面識がなかった。
自分の出番が終わり改めてお礼に行くと
「アナタ~!指揮者さんだったのネ!びっくりしちゃったわ!
お名前は…ノリこさん!もう忘れないわよォ~♡」
感謝と謝罪の気持ちはあったが、そのときの私は
(イヤなカタチで覚えられてしまった…)という印象の方が強かった。
2年生になって、彼女が担任になった時に私は不安だった。
あの合唱コンクールの時のことを、いつ他の生徒に暴露されるかと気が気ではなかった。
タカミネはそのことを暴露はしなかったが、そのかわり私と二人の時に【手のひらのお椀】を差し出して来ることがあった。
アナタは私に借りがある。
そう強請られているような気がして、私は在学中最後まで彼女を信用できなかった。
今思えば、あれはタカミネの愛情だったのだろう。
大学に進学し、社会に出てから気づいた。
大人になると自分のことなど気にかけてくれる人なんてそうそういない。
見た目だって考え方だって「人それぞれ」。
下手に余計なことを言って人間関係が崩れるのもイヤだし、そもそもそこまで関係を作りたいとも思わない。
タカミネは、うっとうしいほど人(生徒)に絡んだ。
古い人間にありがちな偏見も多かったが、その分生徒に対する愛も溢れていたのだろうと思う。
子どもができてからはさらに思った。
自分の子どものゲロだって、なかなか受け止めてやろうなんて思わない。
たとえ「フロアが汚れる」と咄嗟に思ったとして。
ゲロで汚れたドレスで一日イベントを過ごすリスクを冒せるか。
受け持ちでもない名前も知らない生徒のゲロを、全力でこぼさず受け止めてやれるか。
彼女にとっては、あの制服を着ている生徒はすべからく【愛すべき存在】なのだ。
ギャルだろうが、優等生だろうが、陰キャだろうが、自分が知っていようがいまいが関係ない。
敬虔なクリスチャンだった彼女にとって、それは【無償の愛】だったのかも知れない。
いつも差し出されていた手のひらに、私がもっと素直に苦しみを吐き出せていたなら。
もう少し今、私は優しい人間になれていた気がする。
タカミネ先生(仮)は、数年前に亡くなられました。
私が知ったのは、Facebookに当時の別の先生が上げた地元の新聞のお悔やみ欄。
彼女からもらってずっと心に残っていた「沈思黙考」の4文字は、高校を卒業してから約10年ほど
毎年の目標として書き初めをしていました。
今年の1月にもツイート(ポスト)してましたね。
最初の素晴らしい書は、つむこさん(@PriorityCoachM)(当時とは別のアカウントです)に書いていただきました。
つむこさんの書を見て、改めて先生の与えてくれていた愛を深く思い、考えるきっかけになりました。
本当にありがとう。
先生の教えから30年近く経って、ようやく私も少しだけ【沈思黙考】できるようになったかな…?
「貴女には【チンシモッコウ】が足りないのッ!」
一生彼女の声は、耳の奥に残っているんやろうなぁ(笑)
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